変な書き方」で勝負してはいけない。
文筆業志望の方から「この作品をどうすればいいでしょうか」という相談仕事が持ち込まれることが多い。
3〜4ヶ月に1回くらい。
私は割と「読める」というか、構造の欠陥みたいなことなら指摘できるんですね。
一応、書く方の気持ちも理解できるものですから、誉めるところを探してしっかり誉めつつ、やわらかく丁寧に、「これでも素晴らしいとは思いますが、こんな風にしたらもっとよくなる可能性が出てくる、という考え方もなくもないんじゃないかなー、と個人的には感じましたがいかがでしょうか?」ぐらいに伝えます。
もちろんそれで「なるほど」と納得してもらえることもあります。
しかし中には「あえてこういう書き方をしてるんだ!」と怒り出す人もいます。
そこに共通するのは、内容で勝負せずに「変な書き方」で勝負してくること。
J・マキナニーみたいな二人称小説であったり、
池波正太郎みたいに読点→会話で文章つないだり、
芥川龍之介の『藪の中』みたいに結末を提示しなかったり。
そんなことは実力充分の名人がやるからいいのであって、無名の新人がやることじゃない。
なぜなら読者の気持ちになってみれば分かる。
「この人の作品なら安心だ。面白いに決まってる」と期待しながら読むのと、
「知らない作家だな。読んだら時間の無駄かも」と心配しながら読むのでは、
全くテンションが異なるからです。
そこを考えず、自分の作品をみんな真剣に深く読んでくれると思ってる。
少々下手でも理解してくれると甘えて、読者の脳内をコントロールするんだという気概が足りない。
そんなのは著名人とか権威とかにだけ許されることです。