今日の原稿

書いた仕事などについて

結婚式の話

「鍵山さん」とお昼ごはんを食べた(どこの鍵山さんかは書かない)。
話したのは落語や幕末の歴史、また観光のことなどとりとめのない……でも本当に楽しい時間だった。しかし鍵山さんの前に出ると、いつまでたってもしどろもどろになる。

鍵山さんから聞いて驚き、そして嬉しかったのは、
もう10年以上前、自分の結婚式に鍵山さんを招待させてもらった時の話。
当日、鍵山さんは東京から大阪までお越しになり、ホテルの入口で女性スタッフに話しかけられたという。

————
「今日はどちらへお越しですか?」
そこで鍵山さんは、私の名前を出しました。
すると、スタッフは何も見ずにこう言いました。
「それならまだ、お時間がございますね。上にご家族の方の控え室がございます。それともティールームでお待ちになられますか?」
今日は誰それの結婚式で、など何も言ってないのに話が通じ、そして時間について諳んじていることに驚いたそうです。
「私は親族ではないので、お茶にします」
「それではこちらへ」

喫茶室に案内された鍵山さんがコーヒーを飲んで時間をつぶしていると、別の男性スタッフがあらわれました。
「そろそろお時間ではないでしょうか?」
驚いて時計を見ると、確かにそろそろ会場に向かうべき時間です。
鍵山さんが会計を済ませると、男性スタッフは鍵山さんをエレベーターまで案内しました。
するとそこで、先程の女性スタッフにばったり再会します。彼女はにっこり笑って言いました。
「いいお時間でしたね」
ここはなんとすごいホテルなんだと感動したそうです。
僕の知らないところで、そんな話があったんだと僕まで感動してしまいました。
————

あの当時、自分はほとんど収入がなかった。
しかし「女性は結婚式のことを一生覚えている」という忠告を聞いていた。
どうせやるなら自分も楽しまなければ意味がないと思い、少なくとも当時「一番」だった場所を選んだ。
(一応、生涯に一回しかやらない予定だし)
今になっては、あのときの決断を正確に思い出すのが難しいが、私は貯金の全て、文字通りの全財産を結婚式に注ぎ込んだ。
そういうことをバカにする人は多いし、一理も百理もあるとは思う。しかし、とりあえず私の場合は、正しい選択だったと思う。


10年以上を経た今から振り返っても。

 

変な書き方」で勝負してはいけない。

文筆業志望の方から「この作品をどうすればいいでしょうか」という相談仕事が持ち込まれることが多い。

3〜4ヶ月に1回くらい。

私は割と「読める」というか、構造の欠陥みたいなことなら指摘できるんですね。
一応、書く方の気持ちも理解できるものですから、誉めるところを探してしっかり誉めつつ、やわらかく丁寧に、「これでも素晴らしいとは思いますが、こんな風にしたらもっとよくなる可能性が出てくる、という考え方もなくもないんじゃないかなー、と個人的には感じましたがいかがでしょうか?」ぐらいに伝えます。


もちろんそれで「なるほど」と納得してもらえることもあります。
しかし中には「あえてこういう書き方をしてるんだ!」と怒り出す人もいます。

そこに共通するのは、内容で勝負せずに「変な書き方」で勝負してくること。


J・マキナニーみたいな二人称小説であったり、

池波正太郎みたいに読点→会話で文章つないだり、

芥川龍之介の『藪の中』みたいに結末を提示しなかったり。


そんなことは実力充分の名人がやるからいいのであって、無名の新人がやることじゃない。

なぜなら読者の気持ちになってみれば分かる。

「この人の作品なら安心だ。面白いに決まってる」と期待しながら読むのと、
「知らない作家だな。読んだら時間の無駄かも」と心配しながら読むのでは、
全くテンションが異なるからです。


そこを考えず、自分の作品をみんな真剣に深く読んでくれると思ってる。

少々下手でも理解してくれると甘えて、読者の脳内をコントロールするんだという気概が足りない。

そんなのは著名人とか権威とかにだけ許されることです。

コピペすんなよ

今日は大学の集中講義の採点作業。

日本人、中国人、ベトナム人の混成クラスで、課題レポートの日本語レベルがバラバラ。

日本語の出来不出来で評価すると日本人が圧倒的有利なので、採点基準は「オリジナルの文章か」「頑張って書いているか」あたりに置くしかない。

はっきり言って内容の深さを問うている場合ではない。

そして「コピペは容赦なく落とす」と事前に周知されているのに、それでもコピペしてくる奴がいる。

バレないと思っているのだろうか?


文章の善し悪しを決めるのは、つまるところ「読みやすい日本語か」「内容に独自性があるか」の2つしかない。

コピペが駄目なのは独自じゃないから。


ちゃんと読めて独自性さえあれば、必ず世間に評価される文章になります。

とても深い取材をする理由

某社で取材。
とはいえ、そこの社長は最近話し込む機会が多く、今さら取材すべき内容が見当たらず、つまり1秒も話を聞かなくても原稿を自動生成できるくらいの勢いである。
しかし「話している」写真が必要なため、カメラマンを同行して2時間ほど会話をした。
その気になれば15分くらいで帰ることもできたのだが、「今日は2時間くらいかな? だったらお昼に寿司を取るけど」と言われてしまった。
私にとっての寿司とは馬にとっての人参のようなもので、目の前にぶら下げられたら走るしかない代物であり、理性的には早く帰って片付けねばならないことが山のようにあるにも関わらず、「そうですね。2時間ほど」と返答してしまい、とんでもない深掘りの取材を続けた次第である。

私語をする生徒への注意の仕方

「君たちは、授業を『各科目について教えてもらう時間』と勘違いしているのではないか?」

「もし君たちが、自宅でレンタルなどして映画を観るとする。それがとんでもないゴミのような作品だったとき、君たちはその場で中断することができる」
「しかしこれが映画館だったら? 中断して外に出たらチケット代がもったいない」

「俺は、『映画は映画館で見ろ』といつも言っている。それは、ゴミのような作品に出会ったとしても、2時間耐えて見続けることで何かしらの楽しみを発見することがあるからだ」
「しかし、全く何の楽しみも見出せない場合もある。そのとき、俺は思う。『俺はなぜこんな場所で2時間もの間、こんな場所にじっと座って、全く面白くない作品を凝視しているのか?』と。そして俺は悟る。世の中にはこんな理不尽があるのだと」

「授業も同じだ。面白い授業もあればつまらない授業もある。授業とは1時間なら1時間、ただ座って人の話をじっと聞かされるという理不尽を学ぶ修行の場なのだ」

「つまらないと思う自分を疑え。今この場を楽しむためには自分に何が足りないのかを思考しろ。理不尽の中に自分だけの気づきを探してみろ」
「教えてもらおうと思うな。学びとは常に自分自身で発見するものだ」
 
「お〜」という声と共に、とりあえず私語する生徒はいなくなった。

 
自分自身、中高生時代は「なんで勉強せなあかんの?(鼻ホジホジ)」みたいな感じだった。
しかし教える側としての問題は、「心底つまらない」と思っている生徒ももれなくフォローする必要がある。そういうタイプに「自分を疑え」などと言っても通じない。そこは「修行と思え(まずは黙って話を聞け)」というところからスタートとなる。

作家になりたいという気持ちの「痛さ」が理解できるが故の「痛み」について

堂島ホテルが営業終了するらしい。ということで堂島ホテルの思い出、というほどでもない出来事について。

大阪の堂島ホテル、年内で営業終了 著名人らが愛用:朝日新聞デジタル


数年前、ある編集者に「小説を読んでアドバイスしてほしい」と頼まれた。
自分にはよく分からないジャンルだから、という話だった。

昔、別の仕事で原稿の全体構造などの改善点を尋ねられ、まとめて筆者に話したところ伝え方などが好評だったらしく、以来定期的にその手の依頼が来ていた。
 
なんでも今回の作品を書いたAさんは若い頃、某超有名脚本家の先生門下で修行し、それから役所に勤めた後、早期退職して作家の道を志しているという話だった。
先生は弟子たちに「必ず書くこと以外の生活手段を確立するように」と厳しく指導し、Aさんは教えを守って不本意ながら公務員になったということだった。
 
Aさんを紹介した編集者と僕が呼び出されたのは、地方の小さな駅前だった。
そこからAさんの家に行くかと思ったら「少し歩きましょう」と言われた。
別に歩きたくなかったが、いきなりだったのでとりあえずAさんの散歩につきあった。
 
Aさんは僕たちを近くの鎮守の森に案内し、「自分が大学生だった頃、あの家の窓辺にいつも座っているきれいな女性がいた」といった思い出話をした。
すぐに理由は分かったが、Aさんが書いたのは短編集で、その舞台がこのあたりなのだった。
しかし自分にとって思い入れのないAさんの作品の裏話を聞いても「なるほど、ここがあの……」と胸が熱くなったりはしない。
 
それからやっとAさんの仕事部屋に案内された。
Aさんは早期退職のお金で、住居と同じアパート内に「執筆用の部屋」を借りていた。
ちなみにAさんは独身だった。そして部屋は資料であふれかえっている……ということもなく、ごく普通の民家だった。
(何のために借りたんだろう?)
頭の中に小さなハテナマークが浮かんだが、何も言わずにいた。
とりあえずAさんの原稿を出してはみたものの、Aさんは無視して公務員時代や先生とのエピソードを滔々と語り続けた。
僕はAさんの昔語りを上の空で頷きながら、「どう話し出したものか」と悩んでいた。
 
というのも、Aさんの小説はとりあえずその時点では、いろいろ問題点があるように感じたからだった。
Aさんは既に堅い職業を捨て、仕事部屋まで用意し、背水の陣で作家デビューを目指している。
そのため僕はきわめて具体的に話すことにした。
抽象的なことは一切言わず、「このキャラクターを表現したいなら、たとえばこんな舞台を設定し、こう伏線を敷いて、それからこう書いてみてはどうでしょう?」とアイデア例を交えて説明した。
もちろんそのまま採用しろ、というつもりはなく、そこまで大したアイデアでもない。
ただAさんがいかに本気かというのは充分伝わったし、この話し合いで現在の問題点を洗い出すことで、Aさんが作品にぶつけたいテーマをより明確に浮かび上がらせたいと思っていた。
 
Aさんは、僕の話を聞いて「なるほど」と言いながら、全てメモに取ってくれた。2時間ほど話して部屋を辞した。
編集者から「おつかれさん」と言われた。
やるべきことはできたはず。そう思ってこの日は終わった。
 
翌月、編集者から連絡があった。

Aさんから「書き直したから読んでほしい」と連絡があったという。
僕は驚いた。こういう依頼は一度きりのことが全体の半分程度あり、Aさんはおそらく書き直さない方の人だろうと勝手に判断していたからだ。
待ち合わせに指定されたのは、大阪の堂島ホテル1階の喫茶室だった。
直した原稿は事前にはくれず、その場に持参するという。
(えっ、なんで?)
不思議に思った。文章の構造というものは、最初から最後まで読まないと分析できない。その場で読んですぐにどうこう言うのは難しいのだ。
しかしAさんがそう言うならと気を取り直して堂島ホテルに向かい、Aさんと編集者と待ち合わせ、喫茶室に入った。
 
奥まった端のテーブル席に案内され、僕たちは各々注文をして人心地ついた。
するとAさんが穏やかな声で「ご指導ありがとうございました」と言って原稿を取り出した。
僕はそれを受け取って読み、少し驚いた。
原稿はほぼ以前の状態のままで変わっておらず、僕の言ったことはほぼ無視されていたからだ。
原稿から顔を上げると、Aさんは「どうだ」という顔をしている。
 
僕は1ヶ所ずつ「ここは、なぜ変えなかったんです?」と尋ねた。
たとえば、
「これだと何が言いたいのか、伝わりにくいですよね」
「キャラクターを生かし切れておらず、もったいないです」
「これは本筋と関係ない話なので、読者が混乱するかもしれませんよ」
などと述べた。
 
するとAさんは、繰り返し「それが狙いです」と返答をした。
そうか、狙いならしょうがない。しかしだ。それにしてもだ。
(変えてないなら、なぜわざわざこの場所に呼び出したんだろう?)
またもや頭の中に、今度は大きめのハテナマークが浮かび始めたときだった。
 
Aさんが若いウェイトレスを呼び止めた。
「あの席は空いたかね。いつも使っている席なんだけど」
Aさんが指さしたのは喫茶室中央の大きなソファ席だった。テーブルには既に飲み物と原稿が広がっているし、面倒だと思ったが、Aさんは立ち上がって歩き始めていた。
それから中央のソファに勢いよく腰を下ろすと、追いかけて向かいに座った僕たちに向け、急に大声で文学談義を始めた。
僕も編集者もその豹変ぶりに驚き、あっけにとられた。
本当に大きな声だったので、周辺に座っていた客が驚いた顔でこちらを見ていた。
 
演説にひと段落ついたAさんは、自分で持ってきた原稿を大きな封筒に入れ、自宅の住所を宛先に書き、再びウェイトレスを呼んだ。
そして小銭とともに彼女に封筒を差し出した。
「これを郵便局に出してきてくれないか。お釣りはいらない。大事な原稿が入っているから、くれぐれもなくさないでくれよ」
彼女は明らかに戸惑っていたものの、「かしこまりました」と封筒を受け取った。
隣を見ると、編集者は曖昧な笑顔を浮かべていた。
 
やっとわかった。Aさんがやりたかったのはこれだ。
作品の舞台となった場所を案内したのも。
「執筆用の家」を見せたのも。
堂島ホテルに呼び出したのも。
全てはAさんが憧れる「作家的なシチュエーション」だったのだろう。
僕はAさんの気持ちが痛いほど解る気がした。
でも、だからこそ、作品をより良いものにしてその思いを本物にする手伝いがしたかった。
 
Aさんと別れた後、編集者は「なんだか、ごめんね」と言った。
僕は「Aさんはこれから、どうするでしょうか」と聞くと、編集者は「そこまで気にしてたら身がもたないよ。今日はありがとう」
そう言って笑うと、さっさと地下鉄へと消えていった。

シン・ゴジラは何が何でもヒットする必要がある。

先週公開2日めに観てきた。それからずっとゴジラのことを考えていた。

シン・ゴジラ』は邦画の将来を思えば、何がなんでも大ヒットしてもらわねば困る。
 
なぜなら本作には、分かってない連中がくりだす「売れるしかけ」が一切ないからだ。
 
物語を停滞させるだけの、ヘタクソな家族愛・人情話・恋愛模様は一切ない。
「美少女アイドルが演じる、主人公の無事をねがう娘または姪」や「ジャニーズアイドルが演じる、表現が一本調子な若者」の姿もない。
子どもをよろこばせる「ゴジラと対峙する巨大ロボ」もいないし、話を強引に着地させる「都合よく超兵器を開発する天才科学者」もいない。
 
また昨今は、この手の娯楽大作なら「製作委員会」方式で船頭を多くしてリスクを分散するのが常道。
 
しかし本作はそうではない。
おそらくテレビ局やタレント事務所などの介入を排除し、総監督・庵野秀明に好き勝手にさせるためだろう。
プロデューサーの英断だと思う。
 
本作はキャッチコピーの「ニッポン対ゴジラ」の通り、ゴジラに対抗する「集団としての日本人」が描かれる。
対するゴジラは「怪獣王」ではなく、まさに破壊神たる「神(シン)・ゴジラ」だ。
 
中盤でゴジラが本気を出してくるシーンがある。
そのとんでもない地獄絵図には「もうダメだ……人類は勝てない」と絶望させられた。
おそらく観客の多くが、「ゴジラよ、早く死んでくれ……頼むから死んでくれ」と祈る気持ちになったと思う。
 
だからこそ後半のメチャクチャな作戦も「イチャモンなんてつけません、とにかくやってください!」というきもちになったし、終盤、ある決死隊が一瞬で全滅するシーンでは人々の顔やその家族の姿を思い浮かべずにはおれなかった。
それも全ては、「自分たちと同じ時代、同じように生活している日本人たち」がゴジラという「国難」に全力で立ち向かうからだ。
 
自分は、アクション映画というものには「1ヶ所でいいから、他で見かけない新鮮なアイデアがなくてはならない」と思っている。
 
本作はそれが1ヶ所でなく随所に投入されている。
庵野秀明という「変態的な量の引き出しとセンスを持つ男」に、ゴジラという会社の宝を預けた東宝は偉い。
 
キャストはゴジラを演じた野村萬斎含めて329名。
庵野秀明はその豪華キャスト陣にほとんど演技をさせていない。
 
とにかく早口でしゃべらせて細かくカットを割ることで、全員に演技をするヒマを与えず、邦画俳優にありがちな「浅はかな感情表現」を抹殺している。
おかげで物語に集中できた。
(ただし石原さとみにだけは、本人がどうすればいいのか悩んで泣いてしまうほど浮いた演技をわざとさせている。おかげで作品前半のリアル描写と後半のフィクションがうまくつながっていると感じる)
 
クレジットによると、庵野秀明は「総監督・脚本・編集・画像設計・音響設計・コンセプトデザイン」、さらに一部の撮影・録音も担当している。
映画を観た人なら、本作が監督1人でいろいろ兼任するような規模の作品でないことがわかるはず。
 
それなのに1人でやってしまう変態・庵野秀明に全てをまかせ、きっと山のように降ってきたであろう余計な口出しや横やりを全て遮断した本作のプロデューサーはすごい。
 
そしてこの判断は、東宝にとって大きな賭けだったはず。
コケたらありとあらゆる方角から批判されるのが目に見えているからだ。
 
しかし完成した『シン・ゴジラ』は間違いなく傑作だった。
控えめに言って傑作。
 
そんな東宝の度量をたたえ、そして失望させないために『シン・ゴジラ』は大ヒットしてほしい。
 
初代ゴジラがそうであったように、本作もまたクリエイターをめざす多くの青少年に衝撃を与えるはず。
映画会社の大人たちが、これから先、そんな若者たちに「賭ける」勇気を持ってもらうためにも。